« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »

2015年9月

2015年9月29日 (火)

秋桜、有情。

初秋の陽射しを浴び、秋桜が咲き乱れる。
たのしげに、ほこらしげに、さびしげに・・・
まるで人の世を映すようだ。

3c60x51y84img_1049

5c68x49y84img_1026

7c96x86y84img_1062

3c37x42y84img_1059

7c67x72y84img_0951

5c117x105y84img_1068

7c92x104y84img_1095

| | コメント (2) | トラックバック (0)

スーパームーンというけれど

九月二十七日は中秋の名月。
この十五夜の月が最も大きく見えるのではないそうな。

翌二十八日の月が今年最大の満月とか・・・
それは、この日が地球と月の距離が最も近くなるから。

そこで月に向ってカメラを据えるが
何のことはない、そこにあったのは普通の満月。
やはり昇った直後の月でなければ
その大きさを実感することはできないのだ。
そんな訳で普通の満月。
フンッ! つまらん!!

15c192x210y158t72img_1233

| | コメント (0)

2015年9月28日 (月)

伝説としてのサード長島

東京読売巨人軍のサード長嶋ついでに・・・

この方には数々の伝説が付き纏っているようです。
ひとつ間違えれば醜聞に成りそうな事態でも
ナガシマだから、と容認されたコトもあるようです。

私が好きなナガシマ伝説に、フグ刺伝説があります。
どこぞのマスコミが仕組んだ対談だか?、鼎談だか?
その相手は王貞治氏か、金田正一氏だったか・・・
座談の席に遅れて登場したナガシマは
眼前のフグ刺を、だぁ~~っ!とさらって喰ったとか!?
それでも、ナガシマを咎める眼も、言葉は無かった。
ナガシマだから、と。

ご本人は長嶋茂雄を生涯背負う宿命と闘っておられる。
どこぞのインタビューで拝見しました
常に長嶋茂雄で居ることはシンドイ!
  (語意に違いがあるかも知れません。)

ナガシマは、ナガシマで有る為に人知れぬ努力を重ねたとか。

| | コメント (0)

2015年9月27日 (日)

現役引退

シーズン終了間近のプロ野球界。
しきりに現役を引退するベテラン選手の話題が続いています。
私のプロ野球は、サード長島で始まって、終わっています。
故に、その後のプロ野球界の事情に疎い。

偶にスポーツ面で記事を追うと、浦島太郎の気分。
そもそも巨人の阿部捕手が、未だアンちゃんだと思っている。

そんな中、中日ドラゴンズの山本昌広投手の引退は出色の話題。
まるで嘗ての野球曼画に登場する投手のごとく
50歳まで現役で通した努力には敬意を表します。
チームの若返り方針に対し、自ら身を引く。
見事で、鮮やかな引き際です。

11c128x130y13t84img_0886
本日の記事と写真には、何ら関係はありませんが
爽やかな引き際にカコツケタ一枚であるかも・・・

| | コメント (0)

2015年9月25日 (金)

他人事ではなく

家人の病気以来
アチコチで目にする著名人の病気に敏感になっています。
果敢に、治療に立ち向かわれる方。
惜しくも病に命を奪われた方。

私自身は他山の石とばかりに検査を受けていませんが
元気でいてこその人生です。

亡くなられた方には、心からご冥福をお祈りいたします。
家人と同年代ですので、
ご家族の哀しく悔しい思いが察せられます。

| | コメント (2)

2015年9月23日 (水)

秋の風景  ~秋桜ある~

私設の老看護師が、厄介な病人から開放され
暫しの余暇を利用して、カメラで花摘みに出掛けました。
徳川将軍家ゆかりの浜離宮恩師庭園です。
5c140x121y151t84img_0861_2

この時期、この庭園で見頃を迎えるのがキバナコスモス。
薄紫の秋桜はもとより、白や橙色の秋桜も多々見られます。
4c130x139y153t84img_0916_2

5c115x127y140t84img_0863

秋の陽射しは柔らかく花を包み込みます。

7c34x49y153t84img_0868
秋桜は、このように幾何学模様の茎を這わせるのでしたか?

9c155t84img_0920
このあと、浜離宮恩賜庭園での画像が続きますが
秋桜と、蝶や蜂と一緒の写真が多々あります。
彼らも厳しい冬を越す準備に余念がありません。

| | コメント (4)

2015年9月22日 (火)

秋の風景  ~赤い花~

忌み嫌われる過去をもつ、この花を皆さんはどうお考えですか?
好き嫌いが真っ向対立する花です。
こんにちでは探すのが難しい光景が、この花を忌避させます。
田圃のあぜ道はまだしも、墓地の廻りに群生している様は
やはり気持ちがよいものではありません。
咲く時期も、秋の彼岸と重なります。
墓参りをして、嘗て葬った人々を思い起こすときです。

5c184x165y84img_0699

曼珠沙華(マンジュシャゲ/マンジュシャカ)
仏教の経典にあらわれる花で、
サンスクリット語ではmanjusakaと表記されるようです。
そこには、慶事が起きる兆しとして、天から赤い花が降る。
とあるとか・・・
本来めでたい花のはずが、墓地に咲いて忌避されるとは
皮肉な結果といわざるをえません。

5c182x146y84img_0704

桜のソメイヨシノと同じく、花が咲く時期に葉はなく
花が終わってから葉が出始めるのですが、
その事実が忌避の原因となっているのは
ソメイヨシノと比べると、大いに不当な扱いです。
葉がないが、儚いや、更に直接的な墓無いに通じる。
理不尽ないいがかり、とも言うべき論法です。

5c189x177y84img_0721

この花を撮影するとき、風景としてでなく
もっぱら接写でしか撮らない私には厄介な被写体です。
接写全般にいえることですが、極端に被写体に接近するので
ピントが合う範囲の奥行きが短い。
撮影経験がある方なら理解していただけることでしょう。
カメラの特性、ひいてはレンズの特性なのですが
被写体にピントが合うのは、レンジから一番近い部分です。
放胆にして、気侭に花弁とシベを振りまく曼珠紗華の魅力を
存分に撮影しようとすると、このレンズ特性に邪魔されます。
かといって、この花の全てに部分にピントが合っても面白くない。
写真は、ピントが合う、合わないが面白い仕組みです。
もっとも、そんな考えに至ったのは最近のことです。
そう考えると、この花は逆に面白い被写体に成り変ります。

9c198x183y84img_0754

映画やドラマで、演出者がこの花が登場させるとき
単なる風景としてでなく、ある種の「役」を担わせます。
この花の様子から、妖艶とか、ほとばしる情念とか、
あるいは隠微な印象とか・・・
どのように遣っても、前後の繋がりで理解出来るのは
この花に限ったことではありませんが
すでにステレオタイプした用法が色褪せないのは
ひとえに、この花が内包する生命力の為せる業でしょうか?

5c84img_0760

とまれ、美しい花を軽薄な理屈で汚すのは
本位ではございません。
出来ますれば、花の写真だけ堪能いただければ幸甚です。

9c156x171y64img_0767

| | コメント (0)

2015年9月20日 (日)

秋の風景  ~実り~

つい、この間まで猛暑に悩まされていたのに
大雨の後は、すっかり秋の気配が漂っています。
5c144x110y140t84img_0784

東京都内でも鄙と見られている我が家の周辺では
昨日今日と、秋祭りの囃子やら太鼓の音が聴こえます。
本来なら旧暦で催される秋祭りは
その年の収穫を豊穣の神様に感謝する祭礼であり
半年の間、働いた自分達への労いの意味もあったはず。

新暦に移行して、およそ一ヶ月早い祭礼の今
田の稲穂は収穫の時期を迎えてはいませんでした。
それでも彼岸花は新暦の彼岸でも律儀に咲きます。
7c168x150y140t84img_0681
こんな写真を載せると、どんな田舎かと思われる?
わざわざ田舎の風景に焦点を当てているのですから
八賭けで受け止めてください。

蓮も、彼岸花と同じく根で年を越すのでしょうか?
花が終わって、次ぎの世代に受け継ぐ種が育っています。
7c182x167y140t84img_0789

5c134x113y140t84img_0678
まだまだ黄金の稲穂とはいえません。
もう少しコウベをたれ、黄金に色付くのを待ちます。

7c154x139y140t84img_0800
このような、どれ程の田舎かを証明するような写真は
トリミングで出来上がったものです。
廻りには住宅地が迫っていますので、悪しからず。

| | コメント (0)

2015年9月18日 (金)

俺ノはなしヲ聴けぇ~っ!!HAAA・・・!!

  はじめに申しあげておきますが
  本日の記事は、横山剣アニィが主宰するクレージンケンバンドとは
  一切の関係はありません。
  ファンの皆様、関係各位は速やかに退場なさるがよろしかろう。

今やコンビニエンスストアは、不夜城の都会でも
過疎に悩む田舎でも必要不可欠な存在です。
何でもある! その、まさに便利さを享受したなら
二度と後戻りはできません。

そのコンビニエンストアでの、私と店員との遣り取り。
私がレジに弁当容器を差し出しながら・・・・
私 「温めてください」
店員「かしこまりましたぁ!(レジを打つ) 〇〇〇円です。
    お弁当は温めますかぁ!?
私 「・・・・・」

スーパーマーケットでも似たようなコトが起きます。
所謂、レジ袋削減! キャンペーンとでも申しますか?
ある系列では、レジ袋を何円かで売ります。
別の系列では、レジ袋を使わない顧客に
何円かを現金還元します。
また、あるチェーンでは現金と換えられるポイントを付加します。

目的は二酸化炭素(CO2)の削減にあります。
ならば、金を出せばレジ袋を出すのはペケですな。
出さずに済ませる策が、よりよい策と思われます。

話題が逸れました。
レジ袋が不要なら、レジ脇に備え付けのカードを添えます。
概ね「レジ袋いりません」の表示があります。
買い物が少量の場合、面倒なので口頭で伝えますが
カードを添えたときの不満をおぼえます。
そこには、こんな実態があります。
私は買い物用のカゴにレジ袋いりませんカードを差し込む。
店員「(レジ脇にカードを置く) ご協力ありがとうございます!
レジを打った店員の最後のひと言。
店員「〇〇〇円です。レジ袋をご用意しますか?
私 「・・・・・」

これらはセールストーク
あるいはチェーン店の販売戦略の一環なのでしょうか?
それにしても、場を弁えない言葉には幻滅します。
俺ノはなしヲ聴けぇ~っ!!
顧客の声に耳を傾けずして、ナニが商いか!?

こんな問題は、コンビニやスーパーのレジに限りません。
自分が言わなければならない、とされている言葉が最優先。
客の語りかけには無頓着。
最初の客の問いかけには「はいっ!」と応えるが
その真意は「チョット待って!」未満の対応でしかない。
散々に自分が言わなければならない語句を並べた結句
漸く客の言葉に耳を傾ける。
店員など「ご用件は?」

サービスのはじまりは、顧客の要望を聴くことだと思うが・・・
俺ノはなしヲ聴けぇ~っ!!

| | コメント (2)

2015年9月17日 (木)

彼岸花

律儀に、この時期を忘れずに咲く花。
忌み嫌われながら、律儀に咲く花。
自然の摂理とはいえ、心から関心してしまう。

ご近所の軒下で見つけた彼岸花。
白の彼岸花でよろしかろうか?

神が存在するなら、これほどの造型を創り上げる。
その力に平伏するしか無いのだが・・・

9c43x12y15t84img_0822_2

| | コメント (0)

2015年9月13日 (日)

家人と居た夏。

夕暮れが俄かに早くなった昨今。
自宅で寛いると、パンパンと破裂音が耳に届いた。
玩具の花火にしては大きい、音の元は何か?
ベランダに出てみるが、こちらに異常はないようだ。
反対側に出て、家並みから僅かに姿を現した花火を認めた。
往く夏を惜しむには時期を逸した花火。

そういえば、花火を観た最後は何年前だったか?
私が花火を観るとは、すなわち撮影すること。
遠くに望む花火は、それはそれで風情があるが
やはり間近で炸裂する花火の迫力をカメラに納めたい。
とはいえ、花火大会が終了した後の混乱に辟易として
その後、名だたる花火大会から遠ざかってしまった。

そんな今年の夏。
思いがけない時、思いがけない場所で花火を観た。
一緒に観たのは思いがけない人。
かれこれ20年来、隣り合って立つことがなかった家人。

まだ薄暮の空にあがる花火を見つめ
家人がひとこと「明るいからキレイじゃないね」。
まだ夕方の明るみを残した空に開いた儚げな火色を観て
家人は何を想ったか・・・
その言葉に、私は無言で応えることしかできなかった。

そのとき、家人は胃の切除手術を受けて4日目。
点滴用スタンドに縋り、漸く一人歩きが出来るようになった。

皮肉なことに、
近年これほど長く、家人と同じ時間を過ごしたことがない。
病室のベッドの上で、手術直後から48時間ほど
麻酔が切れたことで襲われた激痛が和らぎ
無事に手術が終わった安堵感にひたる家人。
しかし、転移への不安は残り、検査結果が出るまで
心の底にわだかまりを抱えて沈黙する家人を見て
私は、安請け合いな慰めの言葉をかけられずにいた。

退院から10日余り、
転移の疑惑が持たれたリンパ節の精密な検査結果が出た。
「転移はなかった」
医師の言葉に心から安堵したことだろう。

日常生活に戻ったいまも、手術の影響を引き摺っている。
胃を3分の1残せ、全摘出とは雲泥の差があるものの
完全復調までは半年、一年という期間を要するようだ。

ただひとつ
永年共に生きてきた人間が
理不尽にも死の淵に引き摺り込まれる様を見ないで済んだ。
そんな想いだけが残った今年の夏である。

| | コメント (2)

2015年9月12日 (土)

猿さえ嗤う愚行

2020年、東京五輪の大会組織委員会が犯した罪について。

大会組織委員会は
大会組織委員会とは無関係な第三者の写真を無断使用した!!
無断使用したのは3枚で、大会組織委員会は
そのうちの1枚は個人のブログからコピペしたと認めた。

大会組織委員会は本人に指摘され、謝罪したうえで
使用料を払ったというが、お粗末な事態であることに違いない。
残る2点も先方と連絡を試みているのだと・・・
大会組織委員会は、事務的ミスだと言い訳しているが
コレが大会組織委員会の本質ではないのか!?

同じなぞるなら、己が国の偉業をなぞれ!!
浅知恵はいらぬ。
浅い知恵さえないのなら、先人の偉業をなぞれ。
1964年の五輪東京大会は
当時の世界から賞賛を浴びる五輪であった。
日本人が、世界に伍していくため、
多くの都民が、不承不承で協力した上に成った
東京五輪である。
都民を説得し、新しい東京をつくった人々。
その苦労と誠意の数々は表舞台に結実した。

いま、事務所の机の上でパソコンを繰って
業務を完遂したつもりでいるアナタ!
くれぐれも世界から嗤いモノにならぬよう
全身全霊を捧げて励め!!
あなたは日本国民の、知的で倫理的な代表でもある。
と、世界は見ているのだよ・・・

| | コメント (0)

2015年9月 8日 (火)

唾棄すべしっ!!

四季に恵まれた日本に生きる私たちは、その恩恵で
遷ろう折々の美しい自然と接する歓びを享受できます。
そうした自然の美しさを
いにしえの人々は絵画の形で残してきました。
今、私たちはカメラの力で難なくその美しさを残せます。

花鳥風月、自然が織りなす美しさを愛でる。
そこに日本人の美意識があるのだと思います。
美意識は、己を厳しく律するところにしか存在しえない。

借景という言葉があります。
我が家の庭先などから望める秀でた自然の景色などを
一歩下がった言い回しであらわします。

自然は、己の側にあるのではない。
自然の中に己がある。
哀しいかな、その思いは一部のカメラ愛好家には無い。
貴重な野鳥を撮るべく、撮影者が心得るべきマナー無し。
新聞に掲載された写真を見れば、長い望遠レンズを装着し
三脚でカメラを固定した数人の撮影者が写っていた。

人間の性と申しましょうか?
ヒトは、己だけが殺傷能力を持つ武器を持つと
尊大になり、いつか武器を遣いたくなる。
高級な撮影機材を持つ撮影愛好者もしかり。

私は、このブログで何回も書いてきました。
絶好の撮影ポイントで
三脚を据え、椅子に座って何時間も動かない撮影者。
お前が風景になって、どうするっ!!

コトは撮影に限らないのですがね
もっと廻りに気配りして、気持ちよく毎日を過ごしたい!!
コレ、贅沢かなぁ・・・

| | コメント (0)

2015年9月 2日 (水)

お祭騒ぎの恥ずかしさ

五輪はお祭ではない。
確かに競技者にとっては人生最大の檜舞台ではある。
しかし、彼ら競技者を支え、大会を運営する組織にとって
堅実で確実な準備は、何よりも優先される大命題である。
にも関わらず、五輪主会場のデザインと工事費でミソをつけ。
懲りずに、大会エンブレムのデザインでも失点を重ねた。
こうした汚辱を雪ぐ責任の所在は、果たして何処にありや!?

新しい国立競技場を建てる理念には
いわゆる箱モノ行政の末路を見る思いがします。
五輪後は、ラクビーの世界大会を開催できる規模だとか
サッカーの世界大会を開催する収容人員を確保するとか
まことしやかな発想理由を挙げていましたが
肝心な工事の難易度や工費についてはドンブリ勘定でした。
五輪をはじめ、競技の商業面優先主義に犯された結果だ。

違うとは言わせない!

そもそも、競技場に求められる機能は
競技者が最善を尽くして競技できること。
観衆が安全快適に個々の競技を詳しく観戦できることに尽きる。
それ故の可動式屋根だぁ!?
笑わせてはいけない。
屋外競技で雨風にさらされるのは覚悟の前だ!!
それより長時間座っていても尻が痛くならない座席だとか
脚を寛がせるに足りる、足元の空間確保だとか
女性が困らないだけのトイレを確保するとか
勿論、身体に障碍をもつ弱者への配慮だとか
地道に対応しなければならない対策は限りがない。
そうした費用が膨らまざるを得ないのなら
国民の支持を得ることだろう。

競技場で競技者を応援する観衆は
一様に、競技者と一体となって彼らを応援するだろう。
雨風にさらされるのがイヤなら、テレビ観戦すれば済む。
競技場に求められる資質とは何か!?
それを忘れたハコ造りには、失敗の結末しか用意されない。

エンブレムに関わる騒動も、国辱ものである。
あの「デザイン」創作なのか? 盗作なのか?
はたまた触発された結果なのか?
当の発案者が本心を語らない以上、真相究明は為らない。

市井の「デザイナー」が提出した案を、そのまま採用する。
審査には高名なデザイナーが参加していたとか?
採用された「デザイン」を外部からの指摘で右往左往する。
この一連の流れにも、国立競技場と同じ問題を見い出す。

レオナルド・ダ・ビンチが如く、第一級の天才なら知らず。
コンピューターでコピーと貼り付けを繰り返せば
イッチョ前の「作品」が出来上がる昨今。
コトの本質を見い出せない愚人が寄り集まったところで
愚なる結果しか得られないのは明白であります。

そもそも、元になったとされる原作にしたところで
ナニを目指したのかワカラン一物である。

東京のTをモチーフにすれば成り立つとする姑息さ。
その姑息さにのる審査側。

古い話しは禁物かと思いますが
先の東京五輪でのポスターは出色の出来映えでした。
暗黒の空間を背景に、号砲で一斉にスタートした
短距離走者の力強い瞬間を捉えた写真!!
まさに気合の芸術が存在した。
そう! 芸術はやはり爆発!!しなければならない。

コピペの結果がもたらすゲージュツなぞ
およそ屁の突っ張りにもならぬ。

| | コメント (2)

« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »