そうなんですよぉ!川崎さん!!
嘗ての城下町であれば
どの城下町にも丸の内という地名はありましょう。
それでも、徳川幕府を築いた家康公の牙城がある
江戸の町並みには格別の意味があろうかと存じます。
江戸開闢当時の、いわゆる江戸の範囲は極めて狭い。
千代田のお城(江戸城)を中心に四里四方と定められたとか。
後に江戸の朱引き(境界線)を拡げ
本郷も、かねますまでは江戸の内。
と言われるようになりました、とさ。
そうした由緒ある千代田城前の丸の内は
明治維新の後、今でいう再開発に晒されたようです。
何しろ、旧幕藩体制の全てを改変すると企てた
明治維新政府は、様々な改革を断行したようです。
その一環として建てられたのが三菱財閥の建物群。
そうした建物群の中で、近年、再建されたのが
三菱一号館美術館です。
英国人の建築家、ジョサイア・コンドルは当時の政府に招かれ
近代建築を建て、次代の担い手である建築家を育てました。
当時の設計図を基に再建された三菱一号館美術館。
その中庭に立つと、周囲の構想ビルさえ無ければ
この建物が活躍した時代を彷彿とさせます。
この美術館とは、皇居側で接する丸の内仲通りから
この中庭に入ろうとすれば
カフェやインテリア小物を商う店を通り抜けて行きます。
隣りには、昭和期の建築遺産である明治安田生命館。
そして皇居の二重橋にも近く
川崎さんの第一級のモデルさんとロケするには
不足のない地域だと思います。
| 固定リンク
コメント