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2015年3月23日 (月)

過ちては即ち改むるに憚ることなかれ

国家を為する法制度を、一般の国民が携われる余地はない。
それは為政者(国家権力を掌握した勢力に過ぎない)の独断行為である。
時に、それらの法制度は改正の名の下に改められる。
しかし・・・

徳川幕府の五代将軍であった徳川綱吉。
犬公方と称せられたという将軍が、天下に布告した法令が
生類憐みの令とされています。
この法令は犬の保護にはじまり、
次第に生きとし生けるものへ伝播されたといいます。
この変遷を今日的に申せば改正となるのでしょうな。

しかし、これらの改めは
果たして、庶民にとって改正といえるものかどうか・・・
己を襲う蚊や蚤を叩いて打ち首になったのでは浮かばれまい。

改正とは、言葉の上の魔術なり。
改正が先に行って正しかったと評価されるか
間違いであったと指弾されるか?
我々は今この時、先を見据えた判断をせなばならない。

刻々と変化する世界情勢において
一国のみ安穏と平和ボケして済まされるとは考えない。
それだからこそ短絡的にして安易な対応が正しいのか?
そもそも、最も平和ボケしているのは
現在の国会議席で優位に立っている勢力ではないか?

立党の最大指針が、憲法を改める一点にある政党に
国家・国民の命運を、選挙で付託した国民が居るのだから
民主的な選択といわざるを得ないが、
それは数の論理を振りかざす権力政党の思う壺

本来は、言葉を厳選に選び抜いて駆使すべき言論勢力
たとえば新聞の紙面に於いてすら、
権力政党の言葉を追認している。

その真相が改変なのか?、大きく譲って改定なのか?
所詮、どう繕ったところで改憲の表現は逃れられない!!
と、思うのだが・・・

己の生き血を吸う蚊や蚤を打った結果が
己に帰ってくるのなら納得もしようが
他人の生き血を吸う蚊や蚤を打ち据えたことで
当方に災いが転じるならば何をかいわんや。

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