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2014年9月13日 (土)

百軒店の芸人

テレビ受像機 (当時はそう呼ばれた) が、国内に行き渡り
テレビ局が増えるに連れ、番組制作が追いつかなくなる。
今日でいうソフトが足りない状況である。
昭和30年代。
VTRが無い時代のこと、放映は生放送が主体だったとか。
技術者も機材も、何より出演者不足が推定される。

あの黒柳徹子女史は、NHK初の専属俳優として知られる。
娯楽の主力が、まだ映画だった時代の影響を思わせます。

   東宝、松竹、日活、大映、東映の邦画5社による協定で
   自社が抱える専属俳優を、
   他社の映画(シャシン)に出演させることは無かった。
   そうした轍を踏んだものか?

時代が下って、テレビ全盛期におけるドラマで
出演する俳優に劇団の若手が起用される機会があった。
そうした若手は、テレビドラマ出演で揉まれ
今やテレビに限らず、映画や舞台でも活躍する重鎮だ、

一方で、バラエティ番組などに出演して
笑いを振りまくコメディアンも多く存在していた。
彼らの中に、浅草のストリップ劇場で幕間に寸劇を演じ
芸を磨いて大成した人々も居る。
あの寅さんこと、渥美清もその一人という。

その頃から四半世紀ほど経った道玄坂・百軒店の
ストリップ劇場で、幕間に寸劇を演じる若者たちがいた。

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 今も、当時と同じ場所で興行を張る
 渋谷・道頓堀劇場。







当時のストリップ興行は荒んでいた。

B30141t84065  ある時期から若いアイドルのような
 踊り子が出演するようになり
 雰囲気が一編したストリップ劇場。
 

しかし、当時はストリップ興行に汚点を残した時代だった。
正当な踊りや芸を見せる踊り子は隅に追いやられ
東南アジアなどから連れてこられた即席の踊り子が
興行を支えた時代。
幕間の寸劇で客の気をひくなど至難の業と云えた。

コント赤信号
後年、テレビで活躍する三人組の下積み時代。
今や、その現役当時を知るのは中年以上の世代だろう。
彼らの後にも、幕間で修行を積んだ芸人は居ただろうか?

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