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2014年8月10日 (日)

流れ果てし、ひとつ星。 第八夜

あなたひとりに 捧げたい

藤圭子が自身の曲と、どのような拘り方をもつかは
このシリーズの第二夜(7月9日)に紹介済みの
面影平野 にまつわる告白からも伺い知れる。
たとえ、歌詞や旋律が秀でていても
自分の心に響かない歌には、身も心も入らない。

その一方で、藤圭子が世に問うことなく
自ら葬り去った二つの持ち歌について、
このインタビューでは、深い鎮魂の想いを語っている。

その一つは、前川清と婚約した頃に与えられた曲。
そして奇しくも、その前川との離婚が決定的になったとき
もう一つの曲が藤圭子の前にあらわれた。

前者は、愛する人の幸せを願いながら、身を引く女心を歌う。
今まさに前川清と結婚しようとしているとき
その前川を好きだった女性は何人も居たろうに
私が自分から身を引く歌なぞ歌えない、と拘る。

後者は、二年間を幸せに過させてくれた人に、
その日々を感謝しながら惜別の旅に身を置く風景を
愛を残した人への想いと共に、阿久悠が切々と綴っている。
今、その状況にある自分が歌うには都合がよすぎる。
下世話に申せば、自分の不幸をネタに曲を売る。
そうした思惑が透けて見えるようで歌えない。

他の人なら歌えるかもしれない。
歌手であれば、斟酌せずに歌えねばならない。
しかし、藤圭子には無理だと・・・
彼女の、歌に対する強い拘りは
歌手としての矜持にも繋がっているようだ。
いい加減に歌う歌手を蔑み
盛りを過ぎてもなお、歌い続ける歌手の生き方を否定する。

一度、頂まで登りつめた者の行く末は
次には、そこから転げ落ちるか
運よく近くの、より低い頂に飛び移るかしかない。
インタビューで明言した藤圭子には、直後に引退が控えていた。

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