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2014年8月

2014年8月30日 (土)

市民農園、ひと休み。

梅雨前線か? と思わせるような全線が
列島の中心を東西に横切って数日が過ぎました。
あの広島を中心とする災害は、この全線が悪さしたか?

そんな、まるで梅雨前線が居座ったような中の休日。
自宅から駅までの間にある市民農園を歩いてみました。
この市民農園は、私のお世話になったことがあります。
あの頃は、あまり熱心ではない農園主が居ましたが
この頃は、皆さん熱心に野菜つくりを愉しんでいらっしゃる。

とはいえ、夏野菜の最盛期を過ぎ
来る秋に向け、畑を整備する時期でもあります。
終わった作物は抜いて、次ぎへの土つくりを施し。
茄子は秋茄子のために、つくりを替える必要があります。
そんな時期のこと。
元気な野菜を見ることが出来ないかと、諦めていると
オクラの花と実が元気に迎えてくれました。

5c72x44y96img_0277  この夏、私が好んでつくった惣菜が
 カボチャとオクラのそぼろ煮
 いわゆるデパ地下の惣菜コーナーで
 これは! と見つけた一品です。

3c64x53y143t96img_0280  真っ赤に色付いたピーマン。
 収穫を忘れた農園主への怒りの色か?
 向こう側のピーマンもイエローカードだ!


ひと夏、野菜つくりに精進なされた皆さん。
ここは、秋から冬に滋味を増す野菜づくりに専念なされよ。

5a7c156x132y135t96img_0283  モンシロチョウが羽を休めています。

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2014年8月29日 (金)

やっぱり、紙がいい!

トイレの話ではありません。
 (お食事中の方には申し訳ない)

Amazon が電子書籍の販売条件で出版社を格付け。
そんなニュース記事を読みました。
日頃からネットショッピングに疎いワタシ。
Amazonって、紙の書籍を売り出したのは知っていたが
電子書籍も販売していましたか!?
コレ、かなり時代遅れを認識しています。

子供のころ、毎朝届いた新聞を取りに行き
新聞紙に浸み込んだインクの香りを
胸いっぱいに吸い込んだ清々しさが忘れられず
今でも新聞を手にしたときの慣わしになっている。

新刊本を買ったときも同じ。
まっさらの新刊本を開いて、そこはかとなく香るインク。
反して、古本屋に入ったときに香る黴臭さを伴う本の数々。
読書は香りと共に在る、といって過言ではなかろう。

本を読み進めてもそうだ。
旨そうな料理が登場すると、香辛料タップリの料理を想い。
酒と紫煙と、男達の汗の匂いが漂う場末の酒場。
午睡から目覚め、さっきまで隣りに居た美女の残り香。
しかして左様に、読者の視覚と臭覚を刺激する本。
それらは、やはり紙の本でなければ体験できない妙味か。

面白い本を読み進み、残った頁の少なさを惜しみ
詰まらない本の、これから読まねばならぬ頁の多さを嘆く。
これも紙の本でしか味わえない読書の深遠。


閑話旧題

先のニュース記事は、Amazonの販売条件の押し付け。
お宅の電子書籍を売ったら、ウチにナンボ呉れます?
というハナシです。
バックマージンの額によって、格付けします。
高い格付けの出版社には、販売に関わる便宜を図ります。
そういう意味です。

ご町内で長く店を構える本屋さんが、経営が立ち行かないと
店仕舞いしたのは四半世紀を大きく越える昔でしょう?
店主の矜持にかけて選ばれた書籍が書棚で寂しげだった。
いま、果たして悪書は良書を駆逐するのか!?
ネット販売される書籍が悪書ではない。

しかし、電子書籍は
古い読書愛好者の愉しみを担保してくれるものかどうか・・・

本屋さん! スミマセン!!
もうちょっと立ち読みさせてください。

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2014年8月28日 (木)

続・ブラリ 渋谷

今どき珍しくない景観になってしまった街中の悪戯書き。
JR山手線にしても、渋谷の北側にあたる原宿周辺でも
南側の恵比寿界隈でも、至るところに悪戯書きが目立つ。
どう寛大に見ても、それらを若者を中心にしたアートとは
とても言い難いものがある。
殆どが意味不明な文字群の羅列にしか見えないからだ。

書かれた側は諦めというか
消す書かれるのイタチゴッコだったのだろうね。
少なくとも一度書かれたたら、その上書きは無い。
この日に散策した界隈にも、やはりあった。

5c195x179y84img_0131_2  京王。井の頭線の渋谷駅近く。
 それにしてもコマメに書くものです。
 と、ヘンに関心。

7c84img_0115  そうした駅周辺を少し離れると
 閑静といってよい場所に出ます。


5c190x156y84img_0125  閑静な一角に居酒屋。
 ブタさんが気持ち良さそうに
 日向ぼっこしていました。

7c84img_0134  こちらは悪戯書きではありません。
 店のメニューとでも言いますか?
 悪戯への先手必勝かね・・・

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 そろそろ待ち人来るか?
 あの世界的に有名な渋谷駅前の
 スクランブル交差点近くと違い
 京王・井の頭線の西口周辺は
 一味違ったオシャレな佇まいです。




84img_0150  落ち合って涼みに入ったカフェ。
 いま来たばかりなのに
 脇を見たらカエル!?

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2014年8月26日 (火)

ブラリ 渋谷

渋谷で待ち合わせ。
いつものコト、相方遅れる。
心得て辺りを散策。

72img_0103  
 ここはJR山手線などの西側。
 南側を国道246号線 (玉川通り) と接し、
 北側は京王・井の頭線の渋谷駅前に出る。
 閑静なオフィス街であり
 マンションが並び
 その一角に飲食店もある
 一種多様な地区であるが猥雑さは少ない。


31x40y245x232yimg_0139  井の頭線のガードを潜ると
 その先は道玄坂界隈に出る。
 更に進むと渋谷センター街があり
 渋谷の若者文化を担う地区がある。

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 渋谷と呼ばれるだけあって
 この辺りは谷の底といった風情がある。

 結構、急な坂もあり
 ゆっくり歩いたつもりも汗ばんでしまった。




9c98x79y84img_0114  特別高級とは思えないが
 土地柄、そこそこのマンションが立ち並ぶ。



224x210y84img_0109  キレイなモデルさんが同道なら
 愉しい撮影であること間違いないが
 サビシイひとりロケにつき
 こんなバストショットを撮って茶を濁す。

201x187y84img_0110  モデルさんの魅惑的なボディラインに
 憧れますなぁ・・・



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 チョイト、道端の植物にも注目。

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2014年8月25日 (月)

六本木、夕涼み。

驟雨が去った後も、気温は下がらず。
丘の上ならば爽やかな風が吹きぬけるかと
六本木ヒルズで夕涼みと洒落込んだつもりが・・・

夏のイベントと重なり、むしろ人出の多さで辟易。
このあたり、己のことを棚にあげ、いい気なものです。

1  見ると、毛利庭園は
 ビアガーデンになっていました。




2  アリーナには、常を上回る屋台。
 ステージが設けられ、
 持ち込み自由な客席で
 観客が待つのは夏祭り故か?

3  メインストリートの けやき坂通り では
 洒落た雪洞が飾られ
 祭り気分を盛り上げていました。


4
 さすが! 東京タワーは地上の喧騒を離れ
 孤高の存在に見えました。








5  どこぞの花街 (かがい)
 落ち着いた温泉旅館街を演出しました。
 ケヤキ坂通りです。


6  さりとて、世界のブランドは
 店頭に提灯を下げたりはしません。
 当たり前か?



7  このメーカーのショップを見かけると
 つい写真を撮ってしまいます。
 欲しい車ではありますが・・・


8  雪洞は周辺の街並みにも融けこんで
 華やかにして、落ち着いた雰囲気を
 醸し出していました。



9  帰り道、芋洗い坂で見かけた光景。
 外国人御用達の居酒屋かね?

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2014年8月22日 (金)

流れ果てし、ひとつ星。 鎮魂

女ですもの 生きていく

8月22日、彼女の命日が巡って参りました。
はじめ、このインタビュー本を読むについて
私には、然程の思い入れがあった訳ではありません。
ただ、同じ時代を生き
その時代を代弁するかのように持て囃された一人の女性。
流行歌手としてでなく、生涯を自死で締めくくった女性として
生あるとき、何を思い、何を語ったか?
そうした、下世話に申せば好奇心から手にした一冊。

自死ののち、娘・宇多田ヒカルによって
彼女が抱えていた心の病の存在が明かされました。

歌手引退から自死まで、彼女に起きた事柄は何一つ知り得ない。
その上で、生前の声を聴くことは、どこか後ろめたく
彼女の、ひとこと一言が、その結末を呼び起こす萌芽であったと
安易に結びつける愚かさに苛まれました。

この記事を書きながら You Tube で生前の歌声を聴きました。
おそらく、再デビュー後の映像と思われる一つを聴いて
失われた才能の大きさを改めて痛感した次第です。
低音域から高音域までに至る、伸びやかな声。
情感豊かに歌い上げる技量。
その姿が、嘗ての藤圭子と重なる必要があったのか?

インタビューで、あれほど頑なに拒否した再デビュー。
それにも関わらず、再デビューした過程も知り得ない。
彼女は納得して再デビューを受け入れたのか?
事情はともあれ、あの歌声・歌唱は素晴らしかった。

藤圭子の歌を怨歌とするなら、発端はいずこに在ったか?
貧しかった子供時代に、その発露を見い出すのは容易だ。

私が見い出した源は違う。
うがった見方を承知で申せば、
彼女が阿部純子として、この世に生を受ける前から
彼女の母の胎内で、怨歌が芽生えた。

生きて語った言葉の数々は、その時の思いではなく
母の胎内で育んだ言葉の数々ではなかったか?
この世に生を受ける前から、自身に植え付けられた言葉。
それを27歳のとき、苛烈に語ったのではないか?


様々な想い、様々な事情。
そうした全ての事柄は、今や昇華されたことと思える。
純子さんの一周忌を迎え、その御霊の安らかんことを
心から念じて、一連の記事を閉じます。

                   合掌


 この記事を書くに際し、下記の図書に材を得ました。
 沢木耕太郎著 新潮社刊  「流星ひとつ}

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2014年8月20日 (水)

流れ果てし、ひとつ星。 第十夜

一から十まで 馬鹿でした

藤圭子の引退について
公に知られている理由は間違いがないところのようだ。

彼女は、このインタビューで引退理由を語っているが
その時点では耳に新しい事実だったのだろうか?
喉に出来た結節、すなわちポリープを切除したことが
引退する理由と話す本人は、心の底から手術したことを悔いる。

彼女が父母と連れ立って北海道を歌って廻った頃から
時々、声が出なくなったことがあったという。
歌い過ぎが原因で、少し休めば回復したという。
歌手を目指し、母と二人だけで上京しながら
結局は父を含め三人で流しをして生計を立てていた頃も
喉は大切にして暮らしていたという。

そして、歌手デビューから5年。
声が出なくなった危機感や、
手術によって声が容易に出るといわれたことから
受けた手術は間違いだったと気付く。

端から見ると、声が出にくそうで苦しげに見えても
本人は苦にしていなかった。
それどころか、一度喉に溜めた声を、一気に吐き出す快感。
そうした事情を抱え、藤圭子は歌っていたという。

あの時だって、もう少し休めば声が出たのだ。
それを思うと悔しくてならない。
あの手術を受け、それまでの藤圭子は死んだ。
自分の喉に無知だったがため
歌手として、藤圭子として、取り返しの付かない過ちを犯した。

そして引退。
かつての、デビュー当時の声で無くなった私。
藤圭子として歌えない私。
彼女は、そんな私を許すことが出来なかった。

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2014年8月18日 (月)

平穏な休日の驚愕な瞬間!

7c138x168y147t68img_9135  若いカマキリが
 木の幹をを元気に登っていきます。
 今でこそ元気な様子ですが、
 少し前はカタマッタキリでした。





コトの発端は
このカマキリが、その向こうに見える鉄製の電柱に登らんと
悪戦苦闘していた様子を見ていたオヤジの御節介にはじまる。

いくら老練なカマキリにしたところで
牛車に立ち向かう蟷螂の如く
鉄製の電柱に登るのは至極難しかろう?
よしんば登れても、その上には腹の足しになる食糧は無い。

炎天下、そんな所でモタモタしていると熱中症になるよっ!
そこに登場したのが正義の味方?
いや、見方次第では単なるお節介なオヤジ。
件のカマキリ君を、手前の木に移してやりましたが・・・
思いもかけない身の上に、恐怖と驚愕のあまり
固まってしまったのが下に様子です。

9c58x35y131t72img_9126  目が点になっています。
 一時は。このまま動かないので
 心臓が止まったかと心配しました。


それでも数分後には、こんな芸当が出来るほど
元気を回復してくれました。
メデタシ、メデタシ。

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2014年8月17日 (日)

流れ果てし、ひとつ星。 第九夜

どう咲きゃいいのさ

藤圭子がインタビューを受けた、1979年秋。
彼女は、インタビューの中で仕事を取り巻く環境を嘆いている。
この事は、そのインタビューを通し、
強気な発言を繰り返す中では珍しく映る。
いわゆる 営業 と称される地方での仕事場は
とても歌をじっくり聴かせる環境ではなくなった、と。
それどころか、歌える環境ですらないと不満を募らせる。

レコード歌手は、自分のレコードが売れて生計が成り立つ。
他には歌謡ショーなどの仕事があり、これはレコードがヒットし
顔が売れると自分ひとりのショーを催すことが可能になる。
営業とは、ホールや劇場といった大きなステージではなく
ナイトクラブや旅館に設えられたステージで歌う仕事である。
その営業でまともな仕事が出来ない。
歌に、ストイックなまでの拘りをみせる藤圭子のこと
とても耐えられない環境であったようだ。
こうした仕事環境の悪化が、彼女から歌う意欲を削いでいった。

歌に心を込めることなく、ただ惰性で歌うなど考えられない
彼女のインタビューを読むと、そうした事情が
歌手引退へのキッカケとなっているようにも読むことができる。

レコード歌手が、曲をヒットさせるために大きく影響した存在が
全国の家庭に普及していたテレビである。
曲がヒットして注目されるとテレビ番組への出演が叶う。
また、テレビで注目されてレコードが売れる。
まして、大晦日のNHKの番組に出演したならば
その後、3年は地方で喰えると謂われた時代である。

デビュー曲が売れ、時代を背負う存在と持てはやされた藤圭子。
地方の歌謡ショーはもとより、営業での収益も軽視できない。
大きなビジネスチャンスとしての存在になってしまった自分と
真摯に歌と向き合う自分と、その狭間で揺れる心。

一度、頂点まで登りつめた藤圭子は
隣りの、より低い頂に飛び移る身の軽さを持ち得ず、
そうした身の処し方を善しとするつもりもない。

彼女はインタビューで続ける。
彼女が駆け抜けた1970年代にして
テレビ界で、歌をじっくり聴かせる番組が無くなったと。
この70年代から80年代、あるいは90年代も含め
日本歌謡界は黄金期といって過言ではない時代でなかったか?
フォークソングやニューミュージックの台頭が目立ち、
一方で、新人歌手の発掘を目的とするテレビ番組から輩出された
新しいスターの活躍は社会現象にもなった。

それにも関わらず。少なくとも演歌を歌う歌手たちにとって
既に生き難い時代の波が押し寄せていたのかもしれない。

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  藤圭子は、その時代の果てに
  何を見つめていたか・・・

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2014年8月10日 (日)

流れ果てし、ひとつ星。 第八夜

あなたひとりに 捧げたい

藤圭子が自身の曲と、どのような拘り方をもつかは
このシリーズの第二夜(7月9日)に紹介済みの
面影平野 にまつわる告白からも伺い知れる。
たとえ、歌詞や旋律が秀でていても
自分の心に響かない歌には、身も心も入らない。

その一方で、藤圭子が世に問うことなく
自ら葬り去った二つの持ち歌について、
このインタビューでは、深い鎮魂の想いを語っている。

その一つは、前川清と婚約した頃に与えられた曲。
そして奇しくも、その前川との離婚が決定的になったとき
もう一つの曲が藤圭子の前にあらわれた。

前者は、愛する人の幸せを願いながら、身を引く女心を歌う。
今まさに前川清と結婚しようとしているとき
その前川を好きだった女性は何人も居たろうに
私が自分から身を引く歌なぞ歌えない、と拘る。

後者は、二年間を幸せに過させてくれた人に、
その日々を感謝しながら惜別の旅に身を置く風景を
愛を残した人への想いと共に、阿久悠が切々と綴っている。
今、その状況にある自分が歌うには都合がよすぎる。
下世話に申せば、自分の不幸をネタに曲を売る。
そうした思惑が透けて見えるようで歌えない。

他の人なら歌えるかもしれない。
歌手であれば、斟酌せずに歌えねばならない。
しかし、藤圭子には無理だと・・・
彼女の、歌に対する強い拘りは
歌手としての矜持にも繋がっているようだ。
いい加減に歌う歌手を蔑み
盛りを過ぎてもなお、歌い続ける歌手の生き方を否定する。

一度、頂まで登りつめた者の行く末は
次には、そこから転げ落ちるか
運よく近くの、より低い頂に飛び移るかしかない。
インタビューで明言した藤圭子には、直後に引退が控えていた。

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2014年8月 3日 (日)

流れ果てし、ひとつ星。 第七夜

あなた ひとりに甘えたい

インタビュー 流星ひとつ を読み進み
藤圭子の人柄に僅かでも近づいたとは思い上がり。
他人の内側を理解するのは容易いことではない。
故に、以下は私の推測から成るとご理解願いたい。

7a7c196x147y134t72img_8980  歌手を目指し、母と上京した後
 両親と一緒に 流し をしていた事実は
 デビュー時の話題づくりに利用された。


中学校の卒業式当日、母と二人だけで上京したが
結局は父と合流して、夜の浅草や錦糸町を拠点に
流しで生活を支えていたという。

北海道で浪曲師として地方を巡っていた両親に
いつしか娘・純子 (藤圭子) が同道して三人で仕事をする。
理由は純子が居た方が、仕事を得る機会が増えたからだ。
三人で流しをしたには、そうした背景があると本人は語る。

幼い頃の純子は、母を慕い、母なしでは居られないほど
母が好きだったといい、それは長じても変ることはなかった。
兄姉と比べ、母への甘え具合は格別だったようだ。
母に安寧な日々が訪れるのが、純子の切なる願い。

歌手として成功し、幾ばくかの金を手に母を父と離婚させる。
 マスコミは、これを家庭崩壊と囃し立てたが・・・
たとえ両親は離婚しても、と藤圭子は語る。
自分はあくまでも父の子供だから、見捨てることは出来ない。
両親の離婚後も、父を気遣い、時に経済的な「援助」も成した。

幼い頃、訳も無く暴力を振るった父。
家族としての区切りをつけた後も、「藤圭子」に擦り寄る父。
そうした父が純子にとって、どのような存在だったのか?
その先の回答は、本人しか知る由も無い。

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