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2013年10月 9日 (水)

我は異常なり

常ならむ・・・
世の人々と同じでない状況を世間は異常という。
私は、その異常者だ。

小学生のとき、教諭が板書する。
黒板といっても実際は緑に塗られた板だ。
白や黄色のチョークの板書は見えるが、
ピンクや青のチョークで書かれた文字は見えない。
これを赤緑色盲というそうな・・・
 (因みに文字変換で、色盲や色神は変換されない?)

個々の色は識別できるが、ある組み合わせや
光線の加減で識別できない場合がある。

教室での検査から数刻後、呼ばれて保健室に行く。
そこで保健婦さん(養護教諭)から再度の検査を受ける。
 (石原式色覚異常検査、あの様々な色の○が並んだもの。)
検査後、辺りに漂う重い雰囲気。

この10年前から、義務教育の場での色神検査は
執り行われていないという。
色神に異常があると、限られた職業に就けない。
進路決定を迫られた時点で、色神異常が明らかになり
望む進路を断念せざるを得ないケースが多発するとか・・・
これは、ある意味で酷いことだ。
子どもの頃に異端視されることと、長じて望みを経たれる
そのどちらが本人にとって大きな問題か?

例に適切さを欠くとは思うが
小学校の運動会で順位を明らかにしなくなっているという。
順位を決めることで、遅れた児童に悪い影響を与えるとか。
こうした誤った優しさが、色神検査を排除した根底にあるか?

この検査が義務教育の場で行われるのが妥当かどうか
そうした議論が残る。
しかし、個人の差別ではなく
秘められた特性を明らかにする必要はあろうかと思う。
結局は、全ての者が受けられる条件を考えると
義務教育の場に依存せざるを得なくなるか?

かつての検査に問題があるとすれば、
教室で、他の児童・生徒が居る前で試されるところにある。
検査される時期と、検査の方法を熟慮すれば
義務教育の場で執り行われることに問題はないと考える。

進路決定に関わる問題もさることながら
色の識別にハンデキャップがあることは
生存の危機に晒される問題でもある。

我が国では、危険をしらせるのに赤い色を用いるが
踏み切りの警告灯に赤色を使われると判別不能である
そんな事態もあるのだ。

己の身体の特性を知り、その弱点を補強する意識を持つ
その重要な対応をするためにも色神異常を知る必要はある。
人権やら個人情報の保持もよいが、
どこかで本質が見失われていないか?

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