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2013年9月 1日 (日)

迎賓館 赤坂離宮 ~序章~

東京・港区元赤坂。
広くは迎賓館と呼ばれるネオ・バロック様式の
洋風宮殿建物は国宝であり
諸外国の賓客を迎える公式の場である。

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 白い正面外柵は約160mに及び
 優雅で気品に溢れている。                             

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 賓客を迎え入れる正門は
 辺りを睥睨するかのように
 堂々と威風を放つ。




5c86x107yb15r149t80img_3918  紀州徳川家の中屋敷があった場所で
 紀州徳川家が皇室に献上した。
 後に東宮御所が建設されたため
 菊花の御紋章が掲げられている。

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 正門に施された装飾。



国の迎賓施設には生涯を通して縁が無いと思っていたが
ひょんなことから一般公開されることを知った。
8月下旬の10日間、毎日2000名(1000組)が参観できる。
どうせ外れると諦め半分で応募したのだが
7月下旬に参観証が届いた。
建物内は撮影禁止だが、外回りだけの撮影でも貴重だ。
かくして万難を排して当日を迎えた。

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コメント

先週、行ってまいりました。
いままでは塀の外からでしたが、想像以上に良い場所でした。
いろいろなアングルから挑戦しましたので、
近々にはアップしていこうと思っています!

投稿: 川崎 | 2013年9月 6日 (金) 07時01分

私が行ったのは日曜日で、殊更に参観者が多かったのか
室内の撮影が禁止だったのは残念至極ですが
あの人の多さを思うと室内撮影は思うに任せなかったかも知れません。

外観の撮影だけでも撮った枚数が多く
写真の選択と構成に苦慮しています。
川崎さんの写真の数々を愉しみにしています。

投稿: kattu | 2013年9月 7日 (土) 05時26分

実家が紀州なのに知りませんでした!
江戸時代には55万5千石の徳川御三家(それも御三家の藩主から将軍位についたのは紀州藩だけ〈8代将軍吉宗と14代将軍家茂〉)だったのですから・・・、東京に紀州ゆかりの事物がいろいろあって当たり前ですね^^

それにしても これだけの紀州藩が。。。現在は近畿地方では唯一、人口減となっている県なのです。 山が70%を占めていて自然保護政策の一環で確保できる工業用地の貧弱さなどなど、衰退の原因は数えきれません。

その代わり 世界遺産に登録されるほどの豊かな自然もに溢れています。
昨夜はこれがきっかけで明治維新の紀州藩の歴史にどっぷりはまりこんでしまいました^^

続きを楽しみにしています^^、

投稿: 菜っ葉の菜 | 2013年9月 7日 (土) 09時17分

菜っ葉の菜さんは生粋の紀州人でしたか。
紀州徳川家の藩主から公方様になられた二人
吉宗公は「暴れん坊将軍」。
家茂公は、皇女和宮と仲睦まじい夫婦愛を貫かれた。
共に徳川宗家以外からの征夷大将軍就任への過程で
かなり激しい権力闘争が繰り広げられた、とか・・・
このお二人は歴史小説やドラマに度々登場され
徳川幕府のスターですね。

そうそう!わらべ歌「まりととのさま」に登場する殿様は
紀州藩主でした。

迎賓館本館の内部は撮影禁止で披露できませんが
装飾の中に、菊花と共に葵の御紋章を多く見られるのは
紀州徳川家との繋がり故と思われます。

迎賓館については1回限りの御紹介のつもりでしたが
2~3回に分けての御紹介になりそうです。
その中に紀州徳川家ゆかりの話題もある予定です。
遅筆で済みません、御期待に沿えるよう精進します。

投稿: kattu | 2013年9月 8日 (日) 04時51分

世の中というものは なんと知らないことに溢れているのか・・・

私は 歴史に全く興味がなく 徳川家康と 豊臣秀吉が 時にはあべこべになって記憶されていたり、時代劇は水戸黄門の入浴シーンを見る程度の歴史音痴!

ところが 4年前の長期入院と1年間の休職期間中に何気なく見た歌舞伎の「勧進帳」がきっかけで歴史に興味をもちました。
特に戦国時代が好きで関ヶ原まつわる土地を訪ねてよく出かけました^^

徳川の時代になり3代目までは楽しく勉強しましたが その後なかなか進みません。いきなり坂本龍馬に飛んだり・・・会津藩松平 容保に没頭したり・・・・

>「暴れん坊将軍」が紀州徳川家の藩主!
家茂公は、皇女和宮と仲睦まじい夫婦愛を貫かれた。・・・

・・・これは今日一番のびっくりです!

前回コメントした「将軍位についたのは紀州藩 云々」は はっきり分からず 検索でコピペだったので^^;

私にとっては オリンピック東京決定より  胸が躍りました(笑)

また歴史を紐解くきっかけができて嬉しいです^^

投稿: 菜っ葉の菜 | 2013年9月 8日 (日) 08時47分

史家の説など、講釈師のそれ(見て来たような・・・)と同じと断定するのは不遜過ぎますが
歴史学者が百人いれば百通りの説があると思っても
さして大きな違いは無いのではないかと愚考します。

吉宗公は松平健さん演じるところの人気者です。
黄門様と同様、江戸市中や日本国中を自由に歩き回ったなどあり得ませんが
偉丈夫で闊達な将軍だったようですね。
享保の改革を中心に、庶民にも密着した改革をすすめ
名奉行・大岡忠相を抜擢したことで時代小説やドラマへの登場が多く
判官贔屓の日本人好みの人物といえましょう。

また紀州藩二代藩主・光貞公の四男から五代藩主に昇り
遂には八代将軍に就いた数奇な運命から、その出世の過程に疑惑を抱く向きもあるようです。

私は歴史書はもとより、司馬遼太郎先生などの歴史小説すら性に合いません。
もっぱら文庫書き下ろし時代小説で「歴史の勉強」をしていますが
これはウソと承知でオベンキョウ!

長くなりますので本日はここまで。
前回のコメントを訂正しました
[徳川宗家からの征夷大将軍就任]を
[徳川宗家以外からの・・・]に訂正しました。

投稿: kattu | 2013年9月 8日 (日) 13時12分

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