« 桜咲く | トップページ | 聞き違い 覚え違い »

2013年3月10日 (日)

昭和の残滓

今年になって、あの昭和の大横綱・大鵬が亡くなられた。
全盛期には 巨人・大鵬・卵焼き と、
当時の少年たちにとって憧れの存在だった。
引退後は、現役時代と比べて不遇を囲った日々を重ねられた。
昭和を代表する大横綱の死は、ありきたりな表現ではあるが
昭和は遠く成りにけり と感慨をもって思わざるを得ない。

今や昭和を体現することは難しいと思いきや、
古びた民家の玄関と出会った。築後数十年と見えるが、
重要文化財として指定を受けるような建物ではない。

84g5c133t64img_0138  建物としては現役で、
 脇にアルミサッシのドアがあり、そこが
 日々の出入りに使われているようだ。
 今では開ずの玄関と成って居るものの
 敷居を跨いで踏み入ると土間があり
 上がりかまちがある。
 以前はどこにでも有った 典型的な
 日本家屋の玄関といえる。

その玄関前に放置された自転車を見て思い出した。

84g5c142t64img_0143  嘗てパソコン通信が華やかだった頃
 あるところに投稿した、極めて懐古趣味の
 私的な散文である。
 一部を加筆修正して載せてみる。


あの頃 みんな野球少年だった

何処にでも原っぱがあって

5~6才のハナタレ小僧から小学6年生までが一緒に遊んでいた。

遊びはもっぱらソフトボール。

2チームに分かれての試合ではない。

三角ベースで、7~8人が替わり番コでバッターボックスに立つと、

誰もが「ヨバン、サード、ナガシマ」になっていた。

スポーツといえば、大人も子供も野球がイチバンだった。

東映のチャンバラ映画全盛期。

僕のお気に入りは、アズマ チヨノスケ。

自分で作ったカタナを振り回しては、剣豪を気取っていた

テレビは白黒で、地方都市ではNHKしか入らなかった。

「ジェスチャー」は、オガワ ヒロシ。

「私の秘密」は、タカハシ ケイゾウ。

そして、「素人のど自慢」は、ミヤタ テル。

ローマでオリンピックがあった。

アベベ・ビキラが、闇のアステカ街道を駆け抜けた。

四年後は、東京だ。

僕は、こづかいを握りしめて駄菓子屋に走る。

南部煎餅に水飴をはさんだだけの素朴な菓子があった。

5円だと、1枚の煎餅を半分にして水飴を挟んだものが買えた。

10円では、2枚の煎餅で挟まれたものが買えた

それが飛び切りの贅沢だった。

 

元気だった父さん達の楽しみは晩酌に呑む焼酎。

父さんの休みには自転車に乗せられて出掛けた

速かった。

母さん達は、みんな肝っ玉かあさん。

手を真っ赤にして、タライとセンタクイタで洗濯していた。

みんな貧乏だったけれど、心は豊かだった。

|

« 桜咲く | トップページ | 聞き違い 覚え違い »

コメント

昭和の話は懐かしくて 目頭が熱くなりました^^その時の匂いまで思い出されます。

両親は高校生の頃に亡くなったのですが 父が写真と同じような自転車に乗って通勤していました^^ 私はいつもサドルの前に乗せてもらいました。

・・・ちなみに 私は 「4番 キャッチャー タブチ」 でした(笑)
父が 虎キチだったので 新聞も朝日です。いまだに・・・


母は洗濯後の大きなタライの水を 家のそばの小川に流しに行く行くのですが、重そうな後ろ姿が目に焼きついています。


おぉそう言えば・・・あの頃 私の友達が健康優良児として表彰され お祝いのホームパーティで一本丸ごと食べたバナナの美味しかったこと! 

みんな貧乏なのに あの家はお金持ちだったなぁ。

(いつもいつも あちらでは・・・ありがとうございます) 

投稿: 菜っ葉の菜 | 2013年3月10日 (日) 10時40分

いらっしゃいませ♪ そんなにお歳ではありませんのに・・・
以前の投稿で、やはり涙を流したと仰る男性が居られましたが、そんなものでしょうか?
ともあれ、昔のことは懐かしく思われます。

昭和の子供にとってバナナ1本は格別のご馳走ですね。
風邪をひいても食べられたか・・・

「4番 キャッチャー タブチ」ね。
うん、どこかで捕手に似たポーズ?を拝見したような(笑)

投稿: kattu | 2013年3月10日 (日) 12時08分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 桜咲く | トップページ | 聞き違い 覚え違い »