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2011年8月

2011年8月29日 (月)

怪我の功名

下手の横好きとでも申しましょうか・・・
コンパクトタイプのデジタルカメラを日々バッグに
気が向いた風景を撮るのが私の憩いになっています。

休日には場所を決め、撮影に赴くこともあります。
それらの場所は人々が多く集まる処であることが多い。
ところが、花々が咲き乱れたり紅葉であったりと、
一層の人出がある季節の休日しか訪れる機会を得られず、
風景を撮っているのか人波を撮っているのかわからない。
そんな撮影環境が殆んどです。

撮影の狙いからすると、出来る限り人物を入れたくありません。
その風景や花などを単独で撮りたい。
しかし前述のような環境では難しいのが現実です。

そこで待つ。ひたすら待つ。
フレーム内から人が居なくなる瞬間を待つ。
時には、その風景に溶け込んだ人物がフレーム内に居れば
シャッターを押すこともありますが、これは稀な出来事です。

そんな中で今日の一枚。

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 浅草寺の賑わいを撮りましたが・・・
 実は後ろの山門が本来の狙いでした。
 ですからピントを山門に合っています。
 (本来の画像の上下をトリミングしています)

肖像権とかプライバシーとか、厳密に云うつもりはありませんが
どうも不特定多数の人々をカメラで捉えるのが苦手です。
ところが、このようにフレームの奥にピントが合っていると
手前の人々は適度にぼやけて写っています。
まぁ、これならいいか・・・
と、気持ちを安らかに公開できる次第です。

他の人はどうなのでしょうね。
何の拘りもなく撮ったり出来るのでしょうか?

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2011年8月28日 (日)

お約束の撮影ポイント

東京スカイツリーの真下を除けば、そのお膝元は
先ず最寄り駅の業平橋駅周辺や、押上駅周辺です。
距離も適度に離れているのでツリーの全容を納め易い。

次いで浅草駅界隈にもお約束の撮影ポイントがあります。
浅草寺を訪れると、自然にカメラを向けることになるでしょう。

本日の一枚は、浅草寺の本殿前から撮影したものです。

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2011年8月24日 (水)

撮影ポイント

いま、東京で一番注目されている被写体は
東京スカイツリーにとどめを刺すでしょう。
あの高さゆえ、都内の広い範囲から見ることができます。
勿論、その足元で見上げた迫力も逃せません。

私も、これまでにいくつかの場所から撮影しています。
建設途中は、刻々変わる姿を撮るのが楽しみでした。
外観が完成したいま、どこから撮影するかに関心が移ります。

営業が開始されればライトアップされ、夜間撮影も可能です。
どんな風景にスカイツリーが立っているか、その撮影ポイントを
見付るのが勝負です。

R15t64img_3083_2  今日の一枚は
 西浅草から浅草寺に向かう途中
 毎回撮影するポイントです。

 街並みに溶け込んだスカイツリー。
 色んな街並みで撮ってみたいものです。




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2011年8月22日 (月)

街の絶滅危惧種

ところは浅草、浅草寺参道の新仲見世。
アーケードを新調したとかで (地元は) お祭りモード。
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その新仲見世の靴店の店頭で見つけたのがコレッ!
(なにやらテレビの安っぽい情報番組のノリだね)
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私の記憶では、靴屋で靴を試して履くとき
たとえ屋内の店舗でも、必ず用意されているマットの上で
履くのがキマリでした。
それが、何時からか店内の何処でも履いて良いと成ったような。
よって、こうした試し履き用のマットを目にする機会が減りました。

ところが、さすが浅草。
いくらアーケードが新しくなろうが
その下で営まれる商いや、人情の機微に変わりはないのですね。

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2011年8月21日 (日)

潮どき

R15t64img_3058_2  橋脚の足元に水の淀みを見つけた
 まわりの川水は下流から上流に流れている
 上げ潮

 これ程はっきり潮の満ち干を見るのは
 初めてなような・・・



夕暮れ迫る上流では
満ちた潮がゆったり引き時を待つ

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自然の摂理は大都会にも生きる

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2011年8月17日 (水)

爪あと

残暑から逃れようと、都内の庭園を訪れたところ・・・
庭園内の灯篭が無残に倒れ、そのままになっていました。
先の東日本大震災で倒れたまま、その姿を晒しています。

テレビで被害の実態を見る機会はありますが、
現実を実感できないのが正直な感覚です。
こうして目の当たりにすると、改めて災害の大きさを実感します。

自宅を流された人々、家族や知人を亡くした人々
今さらですが、心安らかに過ごせる日々が訪れるよう
この後で参った寺院で祈りました。

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2011年8月14日 (日)

本日休市

日曜と断らずも、盆休みの場内 (築地市場)
築地の寺に参ってから、場外市場をぶらぶらすると
賑わっているのは場外の鮨専門店ばかり。

平素は、活きのよい魚が並んでいようが
休市の今日は甲羅干しとでも申しましょうか?
魚に負けない短冊が行儀良く並んでいました。

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2011年8月10日 (水)

栄冠は君に輝く

全国高校野球選手権大会。
つまり 夏の甲子園 が始まりました。
春の選抜と並んで、高校球児が目指す全国大会です。
その大会のたび、数々のドラマが展開されたのも甲子園でした。

あの選手入場の宣言の後
凛としたメロディーが流れ
真新しいユニフォームを纏った高校球児の入場を見ると
オヤジの涙腺はついつい緩む

甲子園に、よう来た!
己を信じて、渾身の力を振り絞れ!
勝ちが一番だが、負けて恥じるな!
そうだっ!
勝っても 負けても栄冠は君に輝く

ただひとつ、
無心に一つの白球を追いかける君たちの無心な姿に
私達は心を打たれる。

負けて悔し涙を流せ
勝ってうれし涙を流せ
しかし、その涙に勝敗の優劣は無い。

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2011年8月 9日 (火)

年寄りの戯言?

矜持、その意味は誇りと訳してよかろうか・・・
一つ間違えば見栄虚栄と紙一重の難しい心持ちだ。

ところが昨今の世情をみるに、見栄や虚栄すら持たない
輩の何と多いことか。
その恥ずかしげも無い行動には、爺ぃならずとも眉を顰めよう。
特に若者の行為に希望を抱くのは、もはや無駄かと思われる。

これ全ては年長者の教育の賜物で、
一方的に彼らを避難するにはあたらず。

時に、年寄りには虚栄しかないような人生なれど、
若者ゆえ、見栄や誇りを抱き続けて欲しいものである。
しかし、それらいずれも持たない若者を見かけるたび
年寄りは行く末の不安を大いに抱くものなり。

ズルズル歩くな!
処構わず座るなかれ!
廻りを見渡し、己の立ち位置をわきまえよ!
毅然として起て!
歩むとは、第一に我が足を前に進めることなり。
足を左右に踏みしめてから歩むことなかれ!

まぁ、こうした事象は若者の特権では無いところにこそ
憂うべきであるが・・・

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2011年8月 8日 (月)

蝉時雨とはいうものの・・・

こうも朝夕晩を問わず、鳴き叫ばれると、いささか食傷ぎみ。
とはいえ、蝉が鳴くのは繁殖目的らしい・・・
地中に数年もの年月を潜んだのち、地上に出た途端
精々一週間有るか無いかの生を全うしながら
一方で子孫の繁栄を願ってひたすら交尾相手を探す行為が
この鳴きにあり。
ならば無常の理をもって享受するしかないと観念します。

私の記憶が正しければ、蝉は気温が28℃を超えると鳴く。
何の不明もなく、熱帯夜なれば蝉は、その本能に従って鳴く。
今しも、我が家の網戸に取り付いて鳴く蝉よ、
善き伴侶に巡り会い、強い子孫を残すべく鳴き叫べよ!

その為には、暫し、この世を支配しているかのような
我等人間も辛抱しようものよ。

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2011年8月 7日 (日)

吾、未だ木鶏たり得ず。

69連勝を阻まれた、名横綱双葉山の一言には遠く及ばず。
己の未熟を恥じる。

休日前の一夜、いつもよりきこしめしたあと、
小腹の空きを養わんと握り飯をつくる。

これが、相変わらずカクカクの三角握り
まるで某コンビニエンスストアーの商品の如く、
何の潤いもない三つの角が角ばった握り飯である。

幼時、母の作る握り飯は柔らかくもあり、決して崩れず、
正に母の掌にあるような暖かい握り飯であったことか・・・
それを見よう見まねで作る握り飯が、なんと刺々しい。

たかが握り飯と謂うことなかれ。
(たなごころ) は、即ち、その人をあらわすといって相違ない。
なればこそ、角ばった握り飯しか作れない我が身を恥じる。

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2011年8月 4日 (木)

セミ ショート

特に待ち焦がれていた訳では無いのですが
この夏も蝉の鳴き声を聴くことができました。

あの鳴き声を聴くと、一層暑さが増す感覚がある一方で
風鈴とは対極にある夏の風物詩と認めてしまいます。

ミーンミーン・・・ジジジッという蝉の鳴き声と、
チリ~ンと涼やかな風鈴の音は、夏の醍醐味です。

これにヒュルルルルッ・・・・・ドォーン!
といった花火の音が重なれば、もう日本の夏真っ盛り!!

やはり、音は瞬時にその場を制圧する力を持ち
人々の心を潤す力を持っています。

それにしても
蝉の初鳴きを聴いた翌朝、同じ蝉では無かろうに
新しい蝉の亡骸を見ると、
命の非情と、はかなさを感じずには居られません。

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