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2011年6月14日 (火)

二度の被爆国として何を成すすべきか・・・

我が国は、先の世界大戦終盤において、米国が投下した
原子爆弾によって、広島と長崎で市民多数が被爆しました。
数十万人という死傷者の多さは、この新型爆弾の恐ろしさを
知るには、あまりにも多大な犠牲を強いられました。

いわゆる原子力は両刃の剣であり、原子爆弾という
大量殺戮兵器のエネルギー源です。

一方では、平和利用として原子力発電に利用されたり、
軍事的な抑止力としての艦船や航空機にも利用されています。
しかし、問題は
原子力エネルギーの平和利用を推進する唯一無二の理屈が、
原子力は安全なエネルギーであるという喧伝です。

今回の東日本大震災は、そうした原子力の安全性は
砂上の楼閣であった真理を露呈しました。
絶対安全に運用される筈の原子力発電所は、
その実、やはり厄介者であったと追認させられました。

まして、安全に運用された原子力エネルギーですら、
その放射能を消し去るには半永久的な時を要します。

活発な火山帯の上に原子力発電所を建設し、処理しきれない
放射性のゴミを排出とい続けた施設によって、福島県民は
生まれ育った土地を離れざるを得なかった。
その理由に未曾有の国難を挙げながら、本当に避け得なかった
人災なのか?
時を超越した深く細かい検証が必要と思われます。

それこそが、二度に渡って被爆者を出した日本の使命と思います。

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