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2007年9月14日 (金)

国際化は尊いか

ある全国紙の社説が、日本柔道連盟は国際感覚を養えといった  趣旨を説いていた。先の国際柔道連盟の理事選挙で、山下理事が再選されなかったことに端を発した社説だ。

柔道は先人の苦労によって世界各地に根を下ろし、いまや世界的規模の競技に成長している。しかし                   世界に普及した柔道と、我が国古来の柔道は似て非なるものだ。まさにJUDO柔道。                         東京五輪で敗れて以来、JUDOの普及と共に柔道は世界で勝ち難くなている。それは競技に於いてだけでなく、ルールの改正や判定基準の違いなどでも本家の形勢は不利になっている。日本柔道界は柔道の伝統にしがみつき、世界と足並みを揃えて柔道の発展を目指していないと社説はいう。

だが、これだけ柔道とJUDOが乖離してしまった今、むしろ国際化を目指す意味があるのかだ。JUDOはJUDOとして発展すればよいのではないか。我が国柔道界も日本JUDO連盟を発足させ、世界と戦う体制を整えたらよい。その上で、日本古来の武道たる柔道は鎖国するのだ。社説がいう体育会体質おおいに結構。

だからといって外国から柔道を学びにくる者を拒むことはない。   本家の柔道をとことん学ばせたらよい。そうした外国選手には、  全日本選手権や嘉納治五郎杯への出場権を与えるのだ。       そして柔道着や判定は、柔道の本流をなす本寸法の基準を通せばよい。あくまでも伝統文化としての柔道を追求するのだ。     能や歌舞伎は、海外公演を行って解釈や衣裳を外国風に改めたりしない。柔道もそこに範を垂れればよい。競技規模拡大に惑わされ本来の姿を見失うのを国際化とはいわない

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